| (株)トーゴ 特別顧問 相田 進 |
小生の出生地は東京の下町向島です。我が家は、八百屋と植木屋を家業として居りました。親父は芝居が好きで、年に数回浅草に女剣劇を見に連れて行ってくれました。当時の女剣劇の役者は不二洋子、大江美智子、浅香光代(子役)でした。浅草に出るには、市電で行くか、東武電車の一両きりしかない電車で行くかでした。電車が浅草駅に着く時はビルの中に駅があるのには驚きました。それが松屋のデパートだとは思いませんでした。
親父は芝居見物に行く前に松屋の七階にある遊戯場に連れて行ってくれるのです。そこには豆自動車、鬼退治、おみくじ、クレーンゲーム等があり、豆自動車は一周する毎に係員が輪っかを車の棒に掛けるのです。特に興味を持ったのはクレーンゲームです。クレーンゲームの景品には森永キャラメルやグリコのおまけつきドロップ、あめ玉等が入っており、グリコのおまけが欲しくて夢中になったものです。当時の機械はハンドルが二つ付いており、右のハンドルは目的景品のところまで回転させ、左のハンドルは景品をつかむパッケージになっていました。
私がこの業界に入り、クレーンゲームの景品に改案をしなければならないと思いました。それはキャラメル類は夏になると泣いて(溶けて)しまうので他の景品をと思案し、ある時は玩具問屋に行き、おもちゃ類(竹トンボ、風船、ガラスべーごま、万華鏡)を投入しましたが、一時間もたたないうちに景品がなくなり、また思案にくれました。
そこで町を歩いていた時、菓子屋のラムネ菓子に目が止まり、これであれば溶けることもなく景品にもなると思い製造元を見つけ、そこと契約して現在に至っているものと思います。今思い出せば、その当時クレーンゲームという名称をつけた人は立派な方だと思います。それは現在に至るつかみ取り機械の本流だと思うと共に、ゲームという名称は現在でもゲームセンターという名称で生きているからです。
それを思う時、この業界の機械、デザイン、景品は無からではなく、一個の固定物から付加価値をつけて発展し、今後もその歩みで行くものと思われます。


